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【井上源三郎埋葬地を訪ねて!】 

■市川三千代さんの淀調査報告(平成20年3月)はこちらからご覧頂けます。 

■淀調査を伝える新聞記事はこちらからご覧頂けます。

■井上雅雄館長 井上源三郎埋葬地を訪ねて  

 [誠願元忠居士] 日野駅前に門を構える宝泉寺の入り口を入ると、古都を思わせる様な裏山を借景にしたとても静かな庭園の真ん中に、井上源三郎之碑がある。さらに奥に歩いて行くと[井上家]の墓が十以上固まって場所を陣取っているこの場所は、古くから井上家の土地だったところである。わが家の墓の右側には[誠願元忠居士]と刻まれた墓石が目を引く、その裏側には(俗名 井上源三郎一武 新選組六番隊長 慶応四年一月四日鳥羽伏見の戦いの折淀千両松にて戦死)と、武士道精神を貫いた一人の人間の最期が刻まれております。

 平成二十年三月九・十日と源三郎埋葬地を探しに京都まで新選組研究家の方々と御一緒させて頂き、幾つもの偶然や不思議な出会いに導かれてその場所の土を待ち帰りこの場所で皆さんと共に報告させて頂きました。 

 武州日野宿八王子千人同心の家柄で源三郎の甥、井上泰助は安政四年(1857)年十二月五日に井上松五郎の次男として生まれた。数え十一歳の慶応三年(1867)年十月には、土方歳三・源三郎と一緒に上洛し近藤勇の小姓を勤めたが翌慶応四年一月の鳥羽伏見の戦いには、幕府方として出陣して源三郎と共に官軍に立ち向かい戦った。そうして数発の銃弾を受けて倒れた源三郎の壮烈な最期を目撃した。                                                                     

 「叔父さん(源三郎)はふだん無口で温和しい人だったが、一度こうと思い込んだら梃子でも動かない一徹なところのある人だった。鳥羽伏見の戦いのおりも、味方は不利で大阪から引き揚げろという命令が来たが、少しも引かずに戦い、ついに銃弾に倒れてしまつた、弾丸を受けた叔父さんは手当ての甲斐も無く息を引き取ってしまつた。叔父さんの首と刀を持って、新選組隊士達と大阪へ引き揚げるべく歩き出したが、人間の首があれほど重い物とは、それまで思ってもみなかったことだった。戦いに疲れたうえ首と刀を持ってよろよろ歩く姿を見て、同行の隊士が『泰助、その首と刀を持って一行からおくれると敵に捕まってしまうから、残念だが捨てろ』といわれ、なにぶんにも敗走中のことであり、仕方なく途中にあった寺の門前の田圃を掘り、さらい込まれように船に乗せられて、大阪を引き揚げた」という。同時に「何時か京、大阪の方へ行く事があったらお参りして来い」と首級を埋めた寺の名前を言ったという。「しかしケイさんも老齢のためこの寺の名を思い出せず、まことに残念なことだった。ケイさんも昭和五十二年に死去され、今は尋ねるべき人もいない」 井上松五郎・源三郎兄弟の事跡〔谷春雄 著〕より          

 このとき私の祖母ケイは、「欣浄寺」と言ったのですが谷春雄先生は、「おばあさん欣浄寺はおばあさんの家の前のお寺の名前でしょう」と・・・そう私の家の前にも同じ字で欣浄寺と言うお寺が在るので、谷春雄先生はケイさんが老齢のため家の前の寺の名前を言ったと勘違いしてしまったのではあるまいか、当然である。その頃京都の欣浄寺は、廃寺になっていたからである。

 今回の京都の旅行には、谷春雄先生の長男・谷享司さんも御一緒させて頂きました。そして近藤勇五代目子孫 宮川清蔵さん・土方歳三六代目子孫 土方愛さん・佐藤彦五郎五代目子孫 佐藤福子さん・この度大変な思いで資料などを集め調べて頂いた市川三千代さん・妙教寺住職さん・浄盛院住職さん・辨慶うどん淀店さん・日野新選組研究家の方々のご協力を頂き誠に有難うございました。 合掌      


 追伸 この度百四十年ぶりに新選組のふるさと日野の地に井上源三郎の御霊を連れて帰ることができました。埋葬地を訪ねて当初から不思議な強い絆を感じていました、近藤勇のご子孫・土方歳三のご子孫・佐藤彦五郎のご子孫・日野新選組研究家の方々が同行して下さり、皆様の熱意でこの日を迎える事ができ大変感謝しております。源三郎の疑問がまた一つ糸が解れ井上家のご先祖様は、さぞかし喜んでいる事でしょう。そして子育てで忙しい時間を割いて同行して下さった土方歳三資料館の土方愛さんが、謎であった欣浄寺が載っている古い地図や、欣浄寺が存在したことを示す地蔵菩薩像や、欣浄寺と刻まれた茶器などの写真でアルバムを作成してくださいました。当館では、このアルバムとパネルで【井上源三郎埋葬地を訪ねて!】特別展を四月より行っております。

井上源三郎は、真面目で・おとなしく・温和な人物でしたが資料などがあまり残って無い為、源三郎を理解しないで面白おかしく描かれて居る事が多いですが、八王子千人同心の家柄に生まれた源三郎は、幼い頃から日野義貴さんの寺子屋に通い学問を学び、剣術は近藤周助より天然理心流免許まで頂いております。

 近藤・土方・沖田等と共に新選組を結成して鳥羽伏見の戦いまで源三郎は、新選組六番隊組長として共に生き最期の激戦では、しんがりを勤め戦い続けた甲州武田武士の血を受け継ぐ武士道精神を貫いた新選組隊士で『性真摯篤実寡黙実行の人』でした。

                        井上源三郎資料館館長  井上雅雄


欣浄寺後を継ぐ寺で右手の地蔵菩薩様は、欣浄寺に安置されていました。
欣浄寺で使用されていた茶器
欣浄寺で使用されていた茶器
妙教寺  今回は特別に資料を見せて頂きましたが、一般公開はしておりません。
妙教寺では、毎年2月4日には東軍戦没者の為の法要が営まれています。
埋葬地  (欣浄寺)
甥泰助が井上源三郎の首級を埋めた所。
欣浄寺跡地  電話等の問い合わせは御遠慮ください。
食事はとても美味しいので是非一度。
館長が大切に土を持ち帰りました。
(土地の所有者に許可済みです。)
淀小橋旧跡
井上源三郎の戦死地
千両松に建つ戊辰役東軍戦死者埋葬地の碑
井上源三郎の戦死地
千両松に建つ戊辰役東軍戦死者埋葬地の碑
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